運動部の朝は早い。
 スポーツにはシーズンってのがある。水泳部や野球部は夏、サッカーやラグビーなら冬場だ。そんなシーズンインしている部活ならなおのことだ。
 …そんなわけで、俺、馬場正平(サッカー部1年、未来の日本代表エースストライカー!)も、寒空の中朝練をしにグラウンドまで出てきていた。

「次、1年生から50mダッシュな!」
 部長の声がグラウンドに良く通る。
「うげー、朝っぱらからまだやるのかよお…」あまりのキツさに呟く。
「なんだと正平、お前まだ元気そうだから他の奴より2本追加だからな。」
「オニ…」部長の地獄耳は恐ろしい。迂闊なことが言えない。
 どうも部長は結構俺のプレイを気に入ってくれてるらしいのだが、その分妙に俺の練習メニューを増やしてくれる。良く言えば期待されてるのが判るのだが、悪く言えばサディスト。というか、練習中は鬼・悪魔にしか見えない。

「うふふ、頑張ってね。根性よ、馬場君!」
 ああ、グラウンドの脇から、天使の声が聞こえる…
 彼女の名は虹野沙希。「彼女」なんて紹介したが、当然俺の「彼女」ではなく、このサッカー部のマネージャー。まあ、いつかは本当の彼女に…ってのが理想なんだがなあ…

「オラオラ、でれでれするんじゃねえぞ正平!それとも、もっと走りたいのか!?」
 僅かな甘い幻想を、部長の野太い声に破られていく。酷い。
「…はーい、真面目に練習しま〜す…」どうも、今日も授業中はいい夢が見られそうだ。

「お疲れ様、馬場君。寒いから、汗拭かないと風邪引いちゃうわよ?」
 虹野さんがそういいながらスポーツタオルを手渡してくれる。
「ありがとう、でも流石にもう身体も慣れてきて、そんなにきつくないから大丈夫だよ。」
 と、タオルを受け取り軽く額の汗をぬぐう。
 実際、入部当初は全然体力がついていかずに大変だった。元から運動センスはそれなりにあると自負していたが、中学の時は体育系の部活をやっていなかったので、運動部レベルに慣れるまで結構時間がかかってしまった。
「うふふ、でも一生懸命頑張ってたから、遅れて入った分もあっという間にとりかえしちゃったね。次の試合では、スタメンで使ってもらえるかもよ?」
 虹野さんがにっこり微笑む。よく考えれば、この笑顔を見て入部したようなもんなんだよなぁ。
「遅れて入部っていったって、勧誘したの虹野さんじゃない(^^;」
「そういえば、そうだったね(笑)」
 そう、入学してから好雄と帰宅部を決めこんでいたら、いきなり虹野さんに入部を勧められたのだ。
正直言って未だに何の根性を見初められたのか判らないのだが…
「でも、本当にスタメンで出れたらいいね。レギュラー目指して頑張りましょう!」
「ああ、マネージャーにはお世話になります。」
 俺は、ちょっとふざけた感じで言った。でも、スタメンかあ…もし起用されたら、レギュラーまであと一歩!って感じだなぁ…
「あ、授業始まっちゃうよ、早く行きましょ?」
 そういえば、結構ぎりぎりの時間まで練習してたっけ。
「そうだね。また後で。」
 軽く挨拶して、俺達はそれぞれの教室へ戻っていった。

「よう、相変わらず熱血だなぁ、馬場君!」
 教室に戻った俺を、芝居がかった調子で好雄が迎えてくれた。
「馬鹿いってるなよ、今日一日ノートの方頼むぜ・・・おれはもう動けん。」
 練習で疲れきった身体が、すでに眠気で悲鳴を上げてる。好雄の冗談に付き合う気力もない。
「またまたぁ、俺を頼りにしようってったってそうはいかないぜ。まあ、今日の昼飯は最低の必要経費だな。」
 好雄がニヤニヤ笑いながらいう。練習でバイトも出来ないから金無いの判ってるくせに…
「ところで、お前13日はどうするつもりだ?まさか、愛しの君に何もしないってことはないよな!おいおい、白状しろよ!!」
 13日…?
「おい、お前なんだよその顔。まさか完全に忘れちゃってるってことはないよな?」
 すいません、全然判らな…って「あああああっ!」
「なんだお前、本っ当に忘れてたのか?それじゃモテる筈ないぜ。あ〜あ、今年のバレンタインはお前のチョコはゼロだな、ゼ〜ロ!」
 完全にあきれかえった顔で好雄がいう。そりゃそうだ、俺だって好雄が同じ事したら大笑いしてる。
「大体なあ、1年生にして既に学校中の運動部の奴のアイドルを誘おうってのに、あと何日しかないと思ってるんだ?きっともうとっくに予定が入ってるぜ。全く、しょうがねえなあ…と言いたいところだが」
「ところだが、何だよ…」
 俺は完全に机に突っ伏して、好雄の台詞に辛うじて反応した程度だった。
「なんだよ、ちゃんと聞けってば。この俺の情報によると、彼女の誕生日、次の土曜の予定は全くの白紙!どうも、彼女のファン達が皆牽制しあって手が出せずじまいみたいだ。くぅ〜、お前の為に女子の間に入って調査しまくったんだぜ、感謝しろよ。」
 マジっすか?
 俺は、それを聞いた途端椅子から跳ね上がるように立ち上がって、好雄に抱きついた。
「お前、本当にいいやつだなあ!今回ばっかりは感謝するぜ!」
「うわああ、暑苦しい、さっさと離れろ!!…でも、どうすんだ?誘うったって簡単にはいかないぜ?」
「そうだよなあ…まあ、とりあえず当たって砕けてみるさ。ダメ元で言ってみるよ。」
 実際、とりあえず約束を取り付けないことにはどうしようもない。
「全く、見込み薄そうだなあ…あ、先生きたぜ。」
 何時の間にか、授業時間になってしまったらしい。
「ああ、それじゃ頑張ってみるよ」
 俺達は、授業を受ける体勢(好雄は女の娘データの整理、俺は睡眠)に入っていった。

 放課後。
 朝の疲れも授業中にすっかり抜けて、またもや練習だ。でもその前に虹野さんを捕まえなきゃ。
「あ、馬場君、放課後の練習も頑張ろうね!」
 おっとぉ、丁度いいところに!
「一生懸命練習して、早くレギュラーになれるといいね。」
 虹野さんの極上の笑顔。これを見ると、また頑張ろうって気が起きる。というか、虹野さんがいなきゃとっくに部活なんてやめてると思う・・・
「そうだね。技術的にも体力的にもまだまだだから、もっと練習しないとなあ。」
「馬場君ならきっとすぐにもっともっと上手くなるよ♪」
 なんてことを延々話してしまう。取り敢えず、今は他のことで頑張れ、俺!
「ところで…今度の土曜日なんだけど」
 しばらく話しこんだ後で、ようやく俺は本題を切り出した。
「何?」
 虹野さんが軽く小首を傾げながら俺の顔をのぞく。
「もしよかったら、その日ちょっと付き合ってくれないかなあ…」
 言った。とりあえず。でも、こんないきなりじゃあ
「うん、別に予定も入ってないし、いいわよ!」
 え。
「買い物にでもいこうかなあとも思ってたんだけど、別にその日じゃなくても構わないし。それじゃあ、約束だね。」
「う、うん!楽しみにしてる!!」
 ちょっと、本当にこんな簡単にいっていいの?俺はちょっとビックリしながらも、虹野さんがOKしてくれたことに舞いあがっていた。
「じゃあ、私もいろいろと考えておくね。あ、練習始まっちゃうよ?」
 本当だ。もうみんなグラウンドに集まってる。部長が俺に向かって「馬場ぁ、さっさと来い!」なんて叫んでる。こりゃ早く行かないとまた練習メニュー増やされるわ。
「うん、それじゃ、ちゃんと土曜日空けといてね!」
 なんか、今日は練習に身が入らなそうだ…ストレッチしてても、つい目が虹野さんの方を向いてしまう。
 …結局、今日の練習ではイージーミスを繰り返して、部長による居残り特訓になってしまった…

 それから数日して、金曜日。
 一通り練習が終わって、最後のボール磨きも終わると、丁度虹野さんが部室に戻ってきた。
「あ、馬場君まだやってたんだ。他の人はみんなもう帰っちゃったの?」
「うん、丁度俺が最後の1個を磨くハメになっちゃってさ。でも、もう終わるよ。」
 俺は、磨き終わったボールを籠に戻すと、虹野さんに言った。
「ところで、明日のことだけど…」
 まさか、「ごめ〜ん、忘れてたぁ!」とかいう落ちは無しだぜ。
「うん、ちゃんと覚えてるよ♪」
 虹野さんが微笑む。
「色々と、何をするか考えてたんだから。楽しみにしててね。」
 う〜ん、どこに行きたがるんだろう、興味あるなあ…でもそれは明日の楽しみに。
「そうだね。じゃあ、もし良かったら一緒に帰らない?」
「うん、いいわよ。じゃあ、私も着替えてくるから、部室の前で待っててね。」
「うん、じゃあ俺も帰る準備するから。」
「じゃ、後でね♪」
 そういって虹野さんは部室から出ていった。

「ごめんね、遅くなって」
 虹野さんが小走りにやってくる。流石にこの季節は少し待ってるだけでもかなり寒い。
「いや、全然待ってないよ。」
「あんまり身体冷やすと、風邪引いちゃうから、気をつけないとね。」
 うん、今日だけは絶対に風邪なんか引けない。
「ところで明日、どこで待ち合わせしようか。」俺は帰り道を歩き始めながら、虹野さんに尋ねた。
「うん、折角だから、駅で待ち合わせしようか。時間は…えっと、9時くらいでいい?」
 駅か。どこに行くのにも便利だし、毎日来てるところだから気も楽だ。まあ、ちょっと他の奴に見られると困るかもしれないけど…
「それでいいよ。じゃあ、明日の9時に駅前でね。」
「うん、明日も頑張ろうね!それじゃあ、私はここで。」
 『頑張る』???…まあいいか。
「それじゃ、また明日。」
 俺は虹野さんが角を曲がって見えなくなるまで待って、家に帰った。

 土曜日。
「…まだ8時ちょっとか。流石に早く着きすぎたなあ…」
 結局俺は殆ど眠れずに、朝も凄く早く起きてしまった。調子に乗って近所をランニングしてもまだ余裕がありすぎるくらいだった。
 結局、練習が忙しくてプレゼントも用意できてなかったけど…今日はその分なけなしの小遣いも全部用意してきたし、何があっても大丈夫!
「何が大丈夫なの?」
「うわあああ!ビックリした!」
 何時の間にか虹野さんが後ろに立っていた。しかも、考え事が口に出てしまってたらしい。
「馬場君も、早く来ちゃってたんだ。実は私も随分早起きしちゃったからどうしようかと思ってたんだ。早めに来て良かった。それにしても、馬場君も張り切ってるね。」
 虹野さん、うれしいこと言ってくれるなぁ。
「じゃあ、とりあえずどこ行きたい?」
 結局、予定のことは全然聞けなかったんだよな。俺は虹野さんに尋ねた。
「うん、とりあえず学校に行きましょ?」
 学校???
「今日はいろいろメニューを考えてきたんだから。」
 メニュー????
「…うん、それじゃ学校行こうか。」
 俺は何がなんだか判らず、結局そのまま学校まで着いてしまった…

「…でね、馬場君の場合、やっぱり基礎体力は結構ついてきたんだけど、細かいボールコントロールとかが弱いと思うの。だから、例えばコーンの間をドリブルしたりとか…」
 サッカー部部室で、俺は虹野さんがいつもとっている練習中の記録を見ながら話していた。
 もう1冊のノートには、コーチといろいろ相談したであろう練習メニューがびっちりと書いてある。
「…それとか、なにか一つ特技があると試合でも使いやすいみたい。ほら、馬場君フリーキックとか上手だから、それを練習してみたり…」
 で、虹野さんは、やはり一生懸命考えてくれた練習メニューを披露してくれている。確かに的確な指摘が多い。流石にマネージャーってだけじゃなく、かなりサッカー好きなだけはある。
 でもなあ…
 なんか話が上手すぎると思ったんだ。確かに、「もっと練習してはやくレギュラーになりたい」って話をしてたときに誘ったんだけどさ…
「あ、馬場君は今日はどんな練習がいいと思う?私もいろいろ考えたんだよ。」
 これだけ盛り上がってるのに、「デート行きたい」とは言えないなあ…よし、ここは一つ頑張るとしますか!!
「それじゃ、普段の練習で出来ないプレースキックの特訓でもするかな。虹野さん、今日はよろしくね。」
「もちろん!それじゃ、私はボールとか出してくるから、早く着替えてきてね。」
 虹野さんが部室から重そうにボールの籠を引きずっていく。
 それじゃ、早く着替えて俺も準備手伝わないと。虹野さんに重たいもの持たせられないしな。
 俺は、手早く練習着に着替えながら、「まあ、これも虹野さんらしいかな・・・」と考えていた。

「ふう、流石にずっと蹴りっぱなしってのも疲れるなあ。」
 9時ごろからだから、3時間はずっとボールを蹴っていた計算だ。それでも、最初に比べると随分思ったところにボールが行くようになった。
「お疲れ様!それじゃあ、一休みしてお昼ご飯でも食べましょうか?」
「うん、もうはらぺこだよ。」
 俺はそういいながら、グラウンドに寝そべった。
「ふふふ、じゃあちょっと待っててね。早起きして準備したんだから。」
 え、それって…
「はい、お弁当。お口にあうといいんだけど…」
 あの虹弁を食べて、文句言う人いないって。
「ありがとう虹野さん。・・・・・・・・・(もぐもぐ)」
「どう?」
 虹野さんがこっちを覗きこむ。ちょっと心配そうな感じが可愛い。ちょっとふざけちゃおうかな。
「ううっっっ!!!!」と叫んで、胸のあたりを押さえてみる。
「えええっ!大丈夫!?なにか不味かった!?」
 虹野さんがびっくりして身を乗り出してくる。
「美味い!!」俺は笑いながら虹野さんに言った。
「えっ…あ、馬場君からかったわね!このぉ!」虹野さんも笑いながら拳を振り上げる。
「ごめんごめん、本当においしかったから、つい。」なんか、言い訳になってないな。
「全くもう…沢山あるから、しっかり食べてまた頑張りましょ?」
「うん。またやる気が出てきたよ。」
 そんなことを言いながら、俺と虹野さんは楽しく食事をした。


「…今日は、付き合わせちゃってごめんね、誕生日なのに。」
 練習が終わっての帰り道、俺は虹野さんに言った。
「あ…知ってたんだ、誕生日だって…」
 虹野さんが、ちょっと照れた感じで笑う。
「結局誕生日プレゼントとか用意できなくて、ごめんね。」
 ぺこりと頭を下げる。
「そんな。いいよ、気にしなくて。それに、今日はちゃんといっぱい頑張ってる姿を見せてくれたから、それが一番の誕生日プレゼントだよ。」
「虹野さん…」
「あ、それじゃあ一つだけおねだりしちゃおうかな。」
 虹野さんが、くるっと身体をこっちに向ける。なんだろう。
「今日みたいにいっぱい練習して、一日も早くレギュラーになってね。…それが、一番、嬉しいかな。」
 虹野さんはそういって、走り出してしまった。
「それじゃ、また学校でね!!」ちょっと走ったところで虹野さんがこっちを向いて、手を振った。
 俺には、その姿が本当に綺麗に見えた。

 

 後日。
 流石に学校で練習してたらバレるよなあ。俺は運動部系の連中から、暫くの間いわれの無い(?)理由で狙われることになった…

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