見晴の落し物

 3月。
 次第に暖かくなる陽気や短くなっていく夜、通学路の脇に生えた草の色からも、春の訪れはそこかしこに感じられる。
 ここ、きらめき高校の生徒達の中にも、もうすぐ期末テストの時期なのにも関わらず、なにか穏やかな雰囲気が流れている。
 そんな中、きらめき市の外れに位置する、一軒の家。そこの二階の部屋では…
「無い!無いよぉ!どうしよう!!」
 春がどうこうという雰囲気ではなかった。

 部屋の中では、一人の女の娘が、一生懸命制服のポケットやカバンの中をひっくり返している。
 小柄で、くりっとした可愛らしい顔立ちに、まるで動物の耳の様に頭の左右で縛った変わった髪形の少女−館林見晴は、一通り荷物を確認すると、ふぅ、と一つ溜息をつきながらベッドに転がった。
「どこいっちゃったんだろ、生徒手帳…」
 見晴の記憶では、朝制服に着替えたときに、何気なく制服のポケットに入れたはずだった。急いでいるときは、とりあえず必要なものは何でもポケットに放りこんでしまうのが、見晴の癖である。
「これだけ探しても無いってことは、やっぱりどこかに落としたのかな…」
 見晴はそう呟くと、よっこいしょ、といった感じで起き上がると、ベッドの上に胡座をかいて座りこんだ。そのまま腕を組み、一段と真剣そうな顔付きになる。
「思い出すのよ、見晴…今日の朝、家を出てから何か落し物でもしそうなことってあった?よーく考えて!」
 そんな独り言を言いながら、今日一日の出来事を、一から順になぞる様に思い返しはじめる。
5分後。
 思い当たる節は、三つあった。

1)朝、通学路で「あの人」を見つけて、後ろから全速力でぶつかったとき
2)移動教室のときに「あの人」を発見、死角からタックルしたとき
3)帰りがけ、靴箱の前で「あの人」を捕捉、思いきり体当たりしたとき

 …見晴は、自分のしたことながら頭が痛くなる思いだった…
「ま、まあそれでも、落としたとしたら学校ってことよね。誰か拾ってくれれば、万事OK!名前もクラスも書いてあるし、明日にはちゃんと見晴ちゃんの手元に戻って…ってちょっと待ってよ!」
 今更ながら、見晴は重大なことに気付き、大声をあげて立ちあがった。不安定なベッドの上で少しふらつきながら、つい拳を強く握り締めてしまう。
「「あの人」にぶつかった時に落としたとしたら…「あの人」が拾っちゃう可能性が高いじゃない!そうしたら、私の正体が全部ばれちゃうよ〜!!」
 そう叫ぶとそのままベッドの上から床に飛び降り、まるで落ち着きの無い小動物の様に、部屋の中をうろうろし始めた。そうかとおもえば、いきなり頭をぐりぐりしたり、ベッドに転がって手足をばたばたさせたりと、完全に落ち着きを失っている。
「あ〜もう!見晴のバカバカバカ、とりあえず落ち着きなさいっての!」
 見晴はそう叫ぶと、改めてベッドに腰掛けなおし、深呼吸を始めた。
「そうよ、とりあえず何かいつもやってるようなことでもして、一息つかなきゃね♪」
 そういって、おもむろにベッドの脇の電話に手をかける。
 ペポパポペペペポ…
 RRRRR…RRRRR…『はい、馬場です。只今留守にしておりますので…』
 ピー。「もしもし、館林です♪今日、生徒手帳落としちゃったんだ。困ったなあ…」
 ガチャ。
「ふう。これで少しは落ち着いたわ。」
 そういった側から、見晴の顔がだんだん青ざめてくる。
(私…今何をしたのかしら?)
 自分のしたことを思い出すのに、10秒かかった。
「きゃああああぁぁ!!これじゃ、いたずら電話まで私だって判っちゃうじゃない!!どうするの?見晴大ピ〜〜ンチ!!」
「見晴!!あんたさっきからうるさいわよ!!独り言ならもっと静かにやってちょうだい!」
 階下から、母親の怒鳴り声が聞こえる。
「もう、それどころじゃ無いんだってば!ああ、どうしよう…」

 結局。
 夜に学校まで捜しに行こうとするのを(「こんな遅くになにやってるの!」という母親の一喝のもと)家族に止められ、見晴の部屋からは朝まで「どうしよう〜」とか「お願い、だれか他の人が拾って〜」などの呻き声が聞こえたのだった…

「お〜い、館林さんいる?」
 翌朝の教室。始業前の早い時間のため、まだ人影もまばらだ。
 そんな中、学校一の情報屋(女子データ限定)、早乙女好雄が回りの女の娘に挨拶しながら、颯爽と入ってきた。
「あ、早乙女クン…どうしたのこんな早くに。いつも遅刻ギリギリじゃなかった?」
 見晴が、眠い目をこすりながら好雄に気付き、軽く挨拶する。
「どうしたのって、そりゃこっちの台詞だぜ。どうしたんだよ、その顔。」
 好雄が目の下に真っ黒な隈を作った見晴の顔を見て、呟く。
「ああ、ちょっと落し物してね…朝、開門時間に学校来たり、いろいろしてたの。」
 見晴はそういって少し苦笑いすると、口に手を当てて大欠伸をする。
「落し物って、これか?」
 好雄はそういうと、見晴の机の上に、一冊の手帳を置いた。
 見晴は慌ててその手帳を手に取ると、奥付を確認する。『1年J組 館林見晴』写真もちゃんとついてる。
「そ、そうなの!早乙女クンが拾っていてくれたんだ!」
 見晴は生徒手帳を胸のあたりに抱えながら言った。
「まったく、もう少しで馬場の奴が拾うところだったんだぜ?俺がさっと取り上げて、適当にあしらっといたから良かったようなものの…」
 好雄は少しあきれた風に、軽くふぅ、と息を吐いた。
 それを見て見晴が、
「へへへ、ごめんね。いつも協力してもらってるのに。どうもありがとう、早乙女クン。」
 と、ペロっと舌を出しておどけた感じで謝る。
「だけどさあ、何であいつに館林さんのこと教えちゃいけないんだ?もっと普通に接してもいいと思うんだけどなあ…ま、女の娘の気持ちは男の俺にはわからん、か。」
「いいの、私は今のままで…もうちょっと勇気が出たら、そのときには早乙女クンにも協力してもらおうかな?」
 見晴が、少し照れた感じで言う。
「そっか…結構奴も館林さんのこと気にかかってるみたいだけどなぁ…」
 そういって、好雄は少し悩んでいるようなそぶりを見せたが、すぐにニコッと歯を見せて笑う。
「まあいいや。俺は可愛い女の娘の味方だから、なんでも協力するぜ。それじゃ、もっと注意しなよ!」
 それだけ言うと、好雄はさっと教室を出ていった。
(ありがとう、早乙女クン。あ〜あ、安心したら眠くなってきちゃったよ…)
 見晴は、ほっとしたのか、強烈な睡魔に襲われ始めた…
 その日、見晴がきらめき高校教師陣からチョーク投げ攻撃を受けまくったのは言うまでも無い。

 その日、きらめき高校1年、馬場正平はサッカー部の練習で遅くに帰宅した。
 部屋に帰ると、いつものように留守電のメッセージを知らせるランプが点滅している。
 それを見て、正平は少し笑いながら再生ボタンを押した。
『もしもし、館林です。今日ね、友達が無くした生徒手帳、拾ってきてくれたんだ。…』

FIN